勲一等・瑞寶章の石川要三元防衛庁長官永眠(PART-3)

元防衛庁長官石川要三先生永眠(享年88才)の知らせを長男石川謙氏(NHK勤務)より受けたのは先生が亡くなられた日、6月21日午後9時頃だった。私と石川先生とのお付き合いは先生が青梅市長在任中からであるから相当長い。思い出もたくさんある。前回は平成14年の、先生が勲一等・瑞寶章を天皇陛下から頂き京王プラザホテルでの叙勲祝賀会の模様をお伝えしました。
今回は私との個人的関係につて触れます。先生はいつも予告なしに突然梅郷の拙宅にやってきました。ある時はお孫さんと一緒に来て、「お~い、ダーツ教えてよ」。「お~い、来週韓国に行くことになった。飛行機内で読む韓国関係の本を貸してよ」。「明けの鐘 ゴーンと鳴る頃 三日月型の 櫛が落ちてる 四畳半 揚山書」(揚山」は先生の号)。「お~い、俺が作った歌だよ。出来ばえを見てよ」。いつもこんな調子でした。気取らないところが互いに波長があったと思います。その都度着る物に無頓着は私を困らせたものです。先生がたしか防衛庁長官のときいつものようにご自分でベンツを運転してやって来た。海上自衛隊から頂いたウインドブレーカーを着ていたと思う。季節は初冬で私は大好きな焚火を一人で楽しんでいた。四方山話に花が咲いた。すると思わぬ言葉が先生の口から飛び出した。「どうだろうか吉永君私の半生記を書きたいんだが手伝ってくれないか。僕を良く知っている君が適任だと思うが・・・」と切り出した。先生の熱心さに打たれ結局お引き受けしたのが、新人物往来社より1万冊出版した「石川要三 わが半生を語る」だった。サラリーマンである私には時間的制約もあり正直難儀な仕事でしたがなんとか1年以内にまとめました。出版記念パーテイーが京王プラザホテルで開かれ、大臣クラスの代議士を含む多数の臨席を得て盛大に開かれたときには疲れも忘れました。
そんな訳で、先生との懐かしい思い出を、8月に予定されている「お別れの会]までにいくつかご披露させていただきたいと思います。今回はその第2回目です。ではどうぞ。

石川先生の政界引退のときが迫っていたころ拙宅に来られた折り記念に揮毫をお願いした。快諾された先生は20,30秒考えられたあといっきに筆を運んだ。私の宝である
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東京政界の団十郎と言われた石川先生は歌心、絵心があった。歌を詠み絵の展覧会によく出品した。女性にもてた先生らしい艶っぽい歌である
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2002年日韓共催W杯サッカーの本大会前に日韓OB戦が国立競技場で開催された。この写真は競技場の入り口で名誉総裁高円宮様をお迎えるとき時時間があったので撮ったものです。右端が石川東京都サッカー協会長中が韓国の英雄でFWとして日本を苦しめた「チェ・スノ」選手。左端が私です。OB戦に出る予定のかねて知り合いのチェ選手がたまたま目についたので一緒に撮ろうとなったたわけ。さらに付け加えるなら、私の位置には長沼健日本サッカー協会会長が本来なら入る予定でしたがパチリ直前になって長沼さんが、「石川会長と一緒なら吉永さん、私が撮ってあげます」となったわけ。この写真を見るとカメラを構える長沼会長を思い出す。チェ・スノ選手は彼が27才のとき私がソウルでインタビューし日本に危険な選手としてサッカー雑誌で紹介したFWです。1986年のアメリカワールドカップに日本はチェ選手の韓国に圧倒されアジア予選で敗れ出場できなかった
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ダンスに興じる石川先生
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都内六本木にあった防衛庁長官室にて面談。「閲兵式の儀仗兵の顔を見たらオレも国のために命を捧げてもいいと思った」と大臣語る。緊張感漂う中での会見が懐かしい。右が石川防衛庁長官で左が筆者吉永です
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ある暑い夏の日突然先生が玄関に顔を見せ「ダーツ教えてよ」となった。
お孫さんの明日香さん(左端)と長女満理子さんとのゲームで先生はスコアラー役でした
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左手の杖で安定させながらダーツを投げる先生せす。非常にお元気だった
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ダーツが気に入ったのか椅子に座って投げ続けた
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by omesports | 2014-07-08 16:27 | 国会

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