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対馬紀行(5)

平成18年5月27日午後、対馬北端の日露友好の丘で挙行された日本海海戦101年周年記念日露慰霊祭に参列できました。ここで海戦に参加した日露両艦隊の司令長官の曾孫さんに偶然にもお会いでき、有意義な会話ができました。予期せぬことに遭遇することは愉快なことですし面白い。旅の醍醐味とでも言うのでしょうか実に幸運な巡りあわせでした。
さて、今回の対馬行きの動機はきわめて単純明快です。定年退職男の気楽な一人旅で(実際のところ体調のこともありそうでもなかったが。中對馬病院のお世話になった。その時の親切な医師,看護師のもてなしに感謝している)、かねてより興味があり研究していた日本海海戦の現場に立ちたいというものです。勤務していた(株)極洋、以前は極洋捕鯨株式会社といっていた水産会社でお世話になった旧日本帝国海軍大佐黛治夫氏の影響です。大佐は砲術の大家で重巡利根の艦長としてレイテ海戦に参加し戦功抜群。対米戦は米艦隊をおびき寄せ自分のホームグランドでの迎撃艦隊決戦により雌雄を決するという海戦論者でした。完勝といわれた日本海海戦を指揮した東郷平八郎提督の作戦についても割合批判的なところがあり、山本五十六大将の真珠湾奇襲作戦にいたっては世紀の愚戦と手厳しいものでした。資源の乏しい日本は、特に航空戦力が貧弱であった。が砲戦射撃能力はアメリカのそれを凌ぐ。艦隊主力を温存しつつ日本海海戦型の迎撃艦隊決戦論者、そんな黛大佐のユニークが視点と持論が好きでした。その大佐に対馬沖の海戦現場に行きなさいと言われた。そしてそれが実現した。
            
 念願の海戦現場に立つ

日露慰霊祭の途中で会場を後にした私は、5月27日午後1時半、対馬中部の本土側に面した芦ケ浦に戻りそこから5トンの小型漁船海栄丸に乗り沖に向った。温厚で親切な地元の漁師、原田栄船長が無料で船を出してくれたのである。今回の対馬旅行で原田船長に巡りあえたことが最大の幸運でした。原田さんは漁業で生計を立て畑も耕している生粋の対馬っ子。軽自動車で私の足となり島内を案内してくれた。今回の対馬旅行の成功は原田さんに負うところが大きい。心より感謝している。
これが5トンの海栄丸
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親切な原田栄船長、心から感謝したい
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午後2時10分、101年前バルチック艦隊に向って東郷艦隊が海戦の火ぶたを切った同じ時刻、海栄丸は沖ノ島と対馬の中間点に辿り着いた。とうとう来たか。全身が震えるような高揚感に襲われる。私はしばし無言の海に向かって黙祷した。海戦に参加した日露両海軍将兵の祖国に対する忠誠と献身。はからずも鵬程万里の異郷の海で命を落としたロシア水兵のために冥福を祈った。何をしているのだろうかと私を見つめている原田船長の顔がおかしかった。
15年くらい前だったと思うが、陸軍戦史研究のためマレーシア北部のコタバルにひとりで旅したことを思い出した。日本海軍機動部隊が真珠湾を攻撃する2時間前にシンガポール攻略部隊が上陸した海岸がマレー半島北部のコタバルである。椰子の木が生い茂る海岸線に沿って英軍が構築したトーチカの上に登り陽光が鈍く降り注ぐ東シナ海を眺めた時の爽快な気分と心の高ぶりは忘れられない。歴史の舞台に立つことほど感動的なものは無い。「コタバルはアジア解放戦争のシンボル。マレーシアの独立もここから始まったのです。ここを見るために日本から来ました」。タクシーの運転手にそう説明すると私の顔をいぶかしげに見つめながらタバコを吹かしている姿が今でも目に浮かぶ。原田船長の表情もあの時のマレーシア人の顔にそっくりだ。世の中にはもの好きな人もいるもんだ。そんな表情に思えた。
コタバル海岸の英軍トーチカ上から東シナ海を眺める。海はいつも魅力的だ。
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2級小型船舶免許所有の私は舵輪を握らせてもらった。細長い狭い入り江の芦ケ浦からいよいよ外洋に出る時はちょっぴり東郷艦隊の旗艦三笠の艦橋に立っているような気分に浸った。こきみ良いエンジンの回転音と日本海の濃厚な蒼い海面が美しい。キャンバスに絵の具を塗りつけるような心地良さである。後方に目をやると、白い航跡の彼方に対馬が遠ざかる。前方かすかに視認される沖ノ島をバルチック艦隊と見立てながら船は進む。「敵艦見ゆとの警報に接し連合艦隊は直ちに出動これを撃滅せんと欲す。本日天気なれども波高し」、旗艦三笠から大本営に打電されたとおり、海戦当日の天候は良好だったが波浪は高かった。これは日本海をホームグランドとする日本海軍に有利で長躯来寇の帝政ロシアのバルチック艦隊にとっては不利と思われた。この時、ロシアの水兵はどんな思いで対馬の山並みを眺めたのだろうか。
海栄丸の舵を握る私を迎えた海面は穏やかであったが見上げる空はややどんよりとして視界は良くない。外洋に出ておよそ30分で船は対馬と沖ノ島の中間地点に来たようだ。原田船長に、「ストップエンジン!」と艦長きどりでひと声かける。舷側を打つ波にまかせて時折ゆらりと揺れる海栄丸。しばし、海戦海域を漂う。大海原をひとりで占有した気分である。思いきり日本海の精気を吸い込みながら満たされた時間帯が過ぎる。時計を見ると午後2時30分。突然、101年前にタイムスリップ!対馬東方海上に対峙する連合艦隊とロシア艦隊が激烈な砲戦を展開中。耳を劈く轟音と両艦隊周辺に林立する水柱!東郷艦隊の正確な砲撃でバルチック艦隊の戦艦オスラビア、スウォーロフ、アレクサンドル3世等が次々に火災を起こし横転沈没。砲戦30分でほぼ雌雄は決した。この海戦でロシアの被害は甚大だった。被撃沈戦艦を含む16隻,自沈5隻、被捕獲6隻,中立国に逃亡6隻、自国に帰港艦5隻。戦死約5000名、ロジェストウエンスキー司令長官以下捕虜約6100名。日本側の損害は水雷艇3隻沈没,戦死117名、戦傷583名。人類史上最大の海戦は連合艦隊の完勝で幕を閉じた。
沖ノ島沖の海栄丸船上から黙祷。101年前の海戦現場は静謐そのものだった。
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閑話休題。会社を定年で辞めてはや4年が過ぎた。やっと我が人生の一つの願いが叶った。黛大佐との約束をやっと果たせた。そして、チャンスがあるなら次はレイテ海戦の現場に立ちたいと思った。目的地のウラジオストークを目前にしてロシア艦隊が狭い対馬水道で壊滅したように日本艦隊はレイテ島突入を前にして壊滅した。黛大佐座乗の重巡利根の近くで巨大戦艦武蔵が海の藻屑と消える。米軍の圧倒的航空戦力の前に日本艦隊は完敗。果たしてその海域はどのような海なのだろうか。四方の海を見つめながらとり止めの無いことをあれこれ考えていると、「戻りますか?」船長の低い声で我にかえった。午後3時、海栄丸のエンジン始動。私は舵輪を握ると「面舵いっぱい!」と心の中で叫んだ。船は右に
ゆっくり弧を描きながら波をかき分け芦ケ浦を目ざした。充実感が全身にみなぎる。前方には対馬で最高峰の白獄(標高519m)が見つめている。ロシアの水兵はこの頂を「ロバの耳」と呼んでいた。私には勝利を意味するVの字と読めたのだが。(つづく)
by omesports | 2006-12-28 10:33 | 編集長紀行

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